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私の願望

御国御前幸子の方殉死追腹秘話

◎切腹
わたくしは国表取締りの老女尾上にございます。このたび江戸表にて殿様が思いもよらぬはやり病のための御急死なさいましたため、江戸にては御法要に先立って重臣を含む五人の方が追い腹を切ってお供なさり、また本国にても四十九日のご法要の際、ご信頼ことのほか深かった家臣三人と共に、家法に従い御国御前たる側室幸子の方様が殉死追腹をあそばされることと相成りました。
つい先頃お元気で江戸へ出府なされた殿が急の御逝去に、家中一同悲しみにくれましたが、中でも日頃ご寵愛ひとしおの幸子の方さまのお嘆きは察するに余りあるものでございます。

ご存じの通り、御公儀の掟により江戸表の奥方様は江戸在住が定めなれば、国表にお帰り中の殿をお慰めする側室は、奥方様に等しく格別のご身分でございます。
これば殿に万一のことがありましたときには、奥方様に代わり殿のお供をいたすことが家法に定められており、この点は御正室に勝る名誉とも申せます。
従ってその殉死の作法も殿方と同様の切腹、しかも女人のみに許されている当家の秘儀おめこ腹をいたされるのでございます。

この儀あるため、御国御前となられるお方は、容色のみならずお覚悟の程も、武士に劣らぬご立派な女人でのうては叶わぬ次第で、藩中にてもそのお役に叶うほどの方はなかなか得がたく、それだけにあまたの候補の中から選び出された幸子の方様が、すらりとした御容姿と、くっきりとあでやかな美貌に加えて、由緒ある武士の家でご幼少の頃から女一般の教養と共に小太刀、薙刀の武芸をも身に着けられ、まことに才色文武を兼ねられた、たぐい稀な御婦人であったことは、わたくしが改めて申し上げるには及びますまい。
わたくしがお国表にて聞き及びましたところでは、江戸表でのお殿様の御日常は、何と申しても公儀お膝もとのこととてなにかと窮屈、またご正室も同じ大名家から迎えられた方ゆえ、こう申してははばかられますが、男女の交わりもその情にいささか欠けるところあり、殿のお心も充分には慰められぬものあるやとのことでございました。
その点、御国表では殿のお心も寛がれ、幸子御前との御交情も深くこまやかに濃いものでございました。

もとより幸子の方様も、並々ならぬ殿のお情にお応えして,身も心も悦びに満ちた半年を過ごされたのでございます。
さればこのたびの突然の殿の御逝去の報を受けても、お悲しみの中にも毅然として、わらわは奥方様にも叶わぬ殉死追腹を許され、女として只一人殿様のお供が叶うのは、この上なき喜び、末代までの名誉と、お見事なお覚悟のさまを示され、まことに感服いたすのみでございました。
とは申せ、殿方でもなかなか容易ならぬ切腹を女人の身にていたされることについては、老女としてやはり気遣いなしにはおられませぬ。

ましておめこ腹の儀は当家のみに伝わる奥向けの秘事として、代々の老女が口伝として受け継ぎ、御国御前となられたお方にお伝えいたすことなれば、万一不手際があってはこの尾上の重大な手落ちに相成り、次第によってはこの身も切腹して申し訳いたすことになるやもしれず、わたくしとしても一代の大役でございます。
御国御前追腹の儀は、殿の御遺骨を迎えて当地で行なう四十九日の法要が終わりました直後に行なわれるしきたりでございますが、実は御法要に先立って既に始まっているのでございます。
と申しますのは、御国御前様は御法要当日には早めに当家菩提寺にご到着になり、用意の一室にお入りになって白無垢にお召しかえになると、まず蔭腹を召されてから御法要に参列なさるのでございます。

蔭腹と申しても、御法要は一刻以上に及びますこととて深腹は切れませず、腹切り刀の切っ先二分ほど出して、下腹を浅く一文字に引き回すだけでございますが、それでも血潮は滲み出ますので晒し布にて切口を巻き締め、その上に白無垢を召されて御法要に臨まれます。
既にお腹を召したからには、もはや後に戻ることは叶わぬ身、すなわち殉死の決意を殿の前に告げられる心でございます。
御法要を終えられて元の部屋に戻られると、いよいよおめこ腹をあそばされます。立会いの老女と選ばれた腰元の介添で、白無垢の帯を解き前を開いてお腹を巻き締めた晒し布を解き、お腰のものも外して秘め所まであらわになされたお姿となり、今度は先ほどの切口に沿ってやや深めに、改めてもう一度切り回し、次いで鳩尾より下へ、お臍を通って隠し毛の繁みからさね上まで切り下げ、古式の十文字腹を召されます。そこで腹切り刀の刃を上向きに返し、大きくお股を開いて膝立ちとなり、切っ先をおめこに突き立ておさねまで切り上げ、とどめの刃を玉門に含ませて腰を落しながら子袋まで貫いて前に伏されたところを、介錯役の刀腰元が用意の大刀でうなじから押し切りに、咽喉皮一枚を残してお首を落して御介錯いたすのでございます。

それから絶命なされたのを見定め、お体を仰向けにいたし、確かにおめこ腹を遂げられたことを確かめてから、咽喉の皮を切ってお首をお体から切り離し、用意の三方に載せて、別室に控えておられる表よりの御検視の検分を受け、これで御国御前の殉死追腹の儀は終わるのでございます。
御遺骸は再びお首とつなぎ合わされて納棺され、殿の御墓所のお側に並んで葬られ、あの世でも殿をお慰めすることになりまする。
このようになかなかの大事でございますから、これを仕切るわたくしといたしましても、無事にことが終わるまでは心が休まらぬわけでございます。もとより当の御国御前さまも並々ならぬお覚悟をなされておられる筈でございますが、何と申しても女の身での切腹は、名誉ある自害の作法とはいえ苦痛のほどもさぞやと思われ、ましておめこ腹となれば、最後まで見事に為遂げるのは並々ならぬ御気力を要するものとお察しする次第でございます。

いよいよ明日は、わたくし幸子が殉死追腹をいたして殿のおそばに参る日でございます。家中の数ある女人の中から選ばれて、お上の定めによって殿が国表に在国なさる間は御国御前と呼ばれる身となりました時は、この上なき光栄と悦びに胸ときめかせたのでございますが、その直前となりまして老女様より国表側室としての色々の心得を承りましたとき、殿に万一の事あれば、お情を頂戴しておる身として殉死追腹を遂げるが当家の家法と聞かされましたときは、さすがに胸が騒ぎました。
しかし殿のご逝去に際して、表では御寵愛をこうむりました侍がたが追腹をいたされるのは当然のことゆえ、女でも誰より殿の一番近くにお仕えし、格別のお情を頂いていたこの身がお供をいたすのは当然のことでございます。
まして奥方様に代わり――いえ、奥方様にも叶わぬ追腹をいたすはこの身の誉れ、わたくしとて武家の女、腹切ることはできるつもりでございましたが、その作法はおめこ腹と伺い、改めて息を呑んだことでございました。しかし思えば、殿の御寵愛を頂いた側室が殉死いたす時には、女ならでは叶わぬおめこ腹こそ最もふさわしい作法と納得いたしました。

それからわたくしは殿のお側にはべる身となり、国表に御在中の半年間は毎夜のようにお情を頂き、やがて女の悦びをひしひしと身に覚えるようになるにつれ、万一のときはおめこ腹を遂げて殿のお供をし、あの世でも末永く可愛がっていただけるのは、家中第一の幸せ者と思うようになりました。
さればその折、腹を切り損じて見苦しきさまを晒すことの無きよう、日頃ひそかに稽古を重ねるうち、次第におめこ腹の心地よさを知るようになってまいりました。刃引きした短刀を
逆手に握り、前を乳房からおめこまで存分にむき出し、短刀の切っ先を下腹に当てて引き回し、刃がふくよかな腹をくぼませて滑るときの、身体の芯まで疼くような心地よさ、熱く濡れそぼっているさね裏にひやりと刃が触れ、ついで玉門に食い入る時のせつない胸の喘ぎ、それはわたくしだけが知る至上の悦びでございました。

あるときなど、あまりの快さにわれを忘れて、思わず手にした刃に力が入って下腹にうっすらと傷をつけてしまい,それがその夜の殿との契りの際に殿のお目に止まって、この傷はどうしたのじゃとお尋ねになられ、やむなく面を赤らめ申し上げましたところ、そのような家法があるとは聞き及んでいたが、さほどまで余を慕ってくれておるのかと大層なお喜びにて、余の前でその手振りを見せてくれよとのお言葉。余りの恥ずかしさに体中を赤らめてご辞退申し上げましたが、是非にとのお言葉なれば、やむなく白の夜伽の衣装を白無垢の切腹姿に、
白の夜具を切腹の席に、手近の白扇を短刀に見立てて腹十文字に引き回し、更に膝立ちになっておめこに突き立て前に倒れ付すさまをお目にかけました時は、恥ずかしさと嬉しさに身が燃えたぎるようでございました。殿もこの上なくお喜びになって、さほどまでして余の供をいたしてくれるか、余は果報者じゃと仰せられ、その夜は、わたくしが気を失ってこのまま果てるかと思ったほどの激しいお情を繰り返し頂き、われを忘れて燃え尽きたのでございました。
それからと申すもの、わたくしは殿の御寝所に侍るとき、幾たびもおめこ腹のさまをお目にかけるようになりました。

このために用意いたしました刃引きの短刀で、布団の上に膝をつき股を八文字に開き、露わにはだけた腹を十文字に引き回して、その快さにしとどに濡れているおめこに切っ先を含ませながら前にのめり伏すと、殿はわたくしの後ろに回って、とどめはこうじゃ、と申されながら、わたくしの腰を抱き寄せ裾を捲り、いきり立った頼もしい御魔羅をずぶりと根元までおめこに突き入れて抉られるのでございます。
うつ伏せになって秘め所を露わに見せた、女として一番恥ずかしい姿で後ろからいたされる恥かしさと、切腹の心地よさに燃えている体を強い男のしるしで玉門から深々と貫かれる嬉しさに、わたくしは堪らず悦びの声を洩らして身悶え、はしたなく女の淫らな泉をほとばしらせて気をやってしまうのでございました。
まことのおめこ腹を遂げまするとき、殿の逞しい御魔羅の代わりに、腹切り刀の刃が同じようにこの身を貫き、血潮とともに悦びの泉をほとばしらせるならば、わたくしは無上の悦びのうちに追腹が叶うことになり、どのように嬉しいことか知れませぬ。

もとより、まことに腹を切るときの苦痛は並々ならぬものと思われまするが、幾度いたしても切腹のまね事の時の心地よさは言い表しようもございませぬ。
帯と帯紐を解き、着衣の前を左右に大きく開き、両の乳房を出し、腰のものをゆるめてずいと押下げ、臍から下腹を存分にむき出すときのぞくぞくするような心地は、何度いたしてもよきものでございます。武家の女がこのように肌をさらし出すなど常にはとても考えられぬ事にございますが、切腹いたすとなれば作法として、かく肌を見するが習い。切腹こそは女が何はばかる事なく、艶やかに美しい女の体と乳房から陰毛の際まで、思う存分に現わし見する事が叶う、まことに誇らしく、そして秘かな悦びの時でございます。さればこそ、このたび
の追腹の儀は、些かもわたくしの心を乱す事なく、却ってこの上なく有難く歓喜の想いをいたした次第でございます。念願の切腹をまことに為遂げて、お慕い申す殿のお側に参り、心ゆくまで契り合う事が叶うのは願ってもない事でございます。もとよりまことに腹切るは苦痛に相違ございませぬ。

しかしおめこ腹の作法は古式のごとくはらわたの食み出すほど深く腹を切るのではありませぬ。先ず始めに蔭腹を切りまする。
蔭腹を切った身で一刻余にも及ぶ法事に臨む事とて、ごく浅くいたすことなれば、これはさしたる事はなく出来ると存じます。もちろん殉死追腹の儀はこれより既に始まるわけにて、よし浅くとも、もはや戻ることなき道への門出でございます。
切口を晒にて巻きしめ法事に参列し、終って再び切腹の座に着き、いよいよおめこ腹をいたします。その時はやや深く一寸位の深さにて十文字に切腹いたします。
次いで刃を股間に向け玉門に刺し通し、おさねを抉って前に伏し、歓びの絶頂に浸りおるうちいつしか介錯を受け、天晴れ名誉の追腹を遂げ終る事となる筈でございます。そのさまを思うだけで胸は高鳴りおめこの濡れるのを覚えまする。

されば些かの苦痛ありとも、それはむしろ悦びを深める、切腹ならではの心地よい苦痛かと存じます。作法通り白屏風の前に裏返した畳を白布で包み、その上に白布団を敷いて、幸子の方の追腹の席が出来ています。
別室で白無垢に着換えたお国御前幸子の方は、晴れ晴れとした面持ちで刻限を待っています。法事の行なわれる本堂には、家中の侍、奥女中等が続々と集り、それぞれ身分格式に応じて席に着いています。
法事は蔭腹を切った幸子の方の出座を待って行なわれます。殿の深いお情を受けられた美しいお国御前が、女の身で蔭腹を切って現われるとあって、その姿はどのようであろうかと待ち受ける家中の者は、口にこそ出しませんが一同思いは一つです。

「お方さま、では―」

老女尾上の声に幸子の方は切腹の座に上りました。いよいよ追腹の始まりです。

「お国御前追腹の儀、これより行いまする。まず、蔭腹を召されませ」
「心得ました」

きっぱり言いきって幸子の方はするすると帯を解き白無垢をゆるめると肩から着衣を滑らせて諸肌脱ぎとなります。腰のもの一つの裸体となったのは、蔭腹の切口を晒で巻く時の用意です。瑞々しく艶やかな肌が匂うばかりに輝いて盛りの女体が現われます。
形よく盛上がった乳房が重たげに揺れ、肉づきよくふっくらと張った腹に臍のくぼみが深くかげり、ちらりと覗く腋毛が春情を誘います。尾上の合図に従い腰元が三方に短刀を置き幸子の方の前に据え、別の腰元二人が晒を手に控えます。
切腹に使う短刀は殿より拝領した銘刀で、刃渡り八寸余、細身作りの女人にも扱い易いものです。幸子の方が両手で短刀をささげ持ち、目八分の高さでゆっくり鞘を払うと、きらりと鋭い切れ味を思わせて蒼く輝く刃が現われます。

鞘を三方に戻し、白布で刃をきりきりと巻き、切っ先を僅かに三分ほど出して右逆手に握り、ちょっと膝を開いて左掌を臍下の下腹に当て、幸子の方はふくよかな己が腹を見やりました。殿とのしびれるような契りの事が改めて思い出されます。
殿に撫でられ口吸われたこの腹を、これからわが手で切り裂いて殿のもとへ赴くのです。静かに下腹を軽く押し撫でると、腹の張りが快く掌に伝わります。二度、三度、下腹を撫で臍のあたりに掌を当て、下へ少し強く押すと、じんと快い疼きがおめこへ響き、思わず、あーっと悦びの声に似た喘ぎがもれました。
ほんのりと白い裸身が色づき、軽く目を閉じている幸子の方の姿は、これから腹を切って果てる者とは思えぬあでやかさです。

「殿、これより幸は追腹仕りお側へ参りまする。日頃お目にかけました切腹の姿、まことにいたしてご覧にいれまするゆえ、とくとご覧下されませ」

心の中で殿に語りかけながら幸子の方は切っ先を左下腹に当てました。かすかに切っ先が腹に当る冷たい感じに気を取り直した幸子の方は、検視役として前に座り、ひたと見つめている尾上に軽くうなずくと、短刀を握った手に力をこめました。たとえ浅
い蔭腹とはいえ、刃が一度腹を食めば切腹は始まり、後へ引くことはありません。さすがに一瞬身も心も固く引き締まり、胸が早鐘をつくように高鳴ります。
大きく息を吸い、少し体を反らし腹をせり出すように構えた幸子の方は、殿参りまする、と心中に叫ぶと、ぐっと刃を腹に強く押し当てました。

ムッ。

思わず吐息がもれ、痛みが体中に走りました。

「やった。とうとう切腹した」

張りつめた気がすっと抜け安堵にも似た思いが過ぎります。腹の張りに押されて浮き上がる刃を押さえ、左手を腹に当て、じりじりと静かに幸子の方は刃を右へ運びます。鮮烈な痛みが刃の動きのままに少しずつ右へと動き、切り終えた後の疵口は痛みというより痺れたような感じを残してゆきます。

殿、幸は、幸は、まことに切腹をいたしておりまする。心地よい痛みにござります。初めて殿のまらをこの身に頂きました時が思い出されまする。
あのときの痛みと同じように、腹切る痛みも嬉しい痛みでございます。幸の腹の切れゆくさま、何卒お目に入れられませ」殿へ語りかける心に引き回す刃は、見事に臍下ふっくらと張った腹の皮肉を小気味よく切り裂いてゆきます。
最初は刃が過ぎても何事もなく見えた腹に突然ふーっと浮き出るように赤い筋が現われ、やがて少しずつ太く盛上がり、そして一筋二筋と白い腹を伝って血潮のすだれを描いてゆきます。

切り進むにつれ切口は僅かに割れて、粒々とした脂づいた肉をのぞかせ、じわじわと血潮が湧き出すさまを見せます。切先三分かかれば見事な切腹とされる当節のこと、これだけでも申し分ない自刃切腹の姿です。
息の乱れも見せず下腹一杯に引回し終えると、幸子の方は己が下腹に目を向け、鮮やかに描き出された切腹の切口を確かめました。浅いとは言え、まことに腹一文字の切腹を為遂げたことに言い知れぬ満足の心が満ち溢れて来ます。
じーんとしびれるような疵の痛みを、これがまことの腹切りの心地かと楽しく味わう落着いた幸子の方です。

「尾上、蔭腹のさま、如何じゃ」
「お見事にいたされてございます。お苦しゅうはございませぬか」

感じ入った尾上の言葉に、幸子の方の心は一段と満足に満ちます。

「お方さまのお腹を…」尾上の声に腰元が晒を切腹の疵口に当て、きりきりと巻いてゆきます。

始めの一重二重は血潮を吸って見る見る赤く染まってゆきます。
幾重か充分に巻き締め切口をしっかりと包み終ると、幸子の方は立上がり、血潮の滲んだ腰布を新たなものに取換え、更に膝の辺りに血潮の僅かに飛び散った白無垢も着換え、新たに装い直します。

「では参られませ?尾上が幸子の方の手を取り法事の席へと案内します。
「うっ」足の運びに腰が動き、腹もそれにつれて僅かに動き切口が歪むのか、びりっ、びりっと痛みが走り、思わずもれかかる吐息をぐっとこらえ、そろそろと幸子の方は歩を進めます。

幸子の方の出座が告げられて固唾を呑んで待つ一同の前に、やや面を強ばらせ、しかし乱れを見せぬ幸子の方の姿が現われると微かなざわめきが起こったのは、見事に蔭腹を切った女人の覚悟の目覚しさに洩らす感嘆の声です。
定めの席に幸子の方が着くと、すぐに法事が始まりました。厳粛な読経が進む間、傍らに付添った尾上は時々気づかわしげに幸子の方の様子を伺いますが、幸子の方の面は少し蒼白んではいるものの、平静さに変りはありません。
幸子の方の耳には読経の声にまじって、いずこからか

「よういたした。見事に美しいそなたの切腹姿、余も満足じゃ。はよう参れ。待っているぞ」

という殿の声が聞こえてまいります。

「幸も心地よう腹切りましてございます。ご法事が終ればただちにおめこ腹とげてお側へ急ぎますほどに、しばしお待ち下されませ」

と心中に応える幸子の方は深い歓びに包まれて、巻き締めた下腹から伝わってくる疵口のしびれるような切腹のあとを味わっております。
長い読経がようやく終わり、

「御焼香を―」

僧侶の声に幸子の方は立上がり、改めて

「殿、今暫くにございます。おめこ腹のさま、御覧下さいませ」

と念じつつ香を燻じます。ついで一同次々と焼香を済ませ、やがて無事法事も終りました。いよいよ御最後を遂げる再度の切腹の場へ戻るべく向き直って立上がった幸子の方の姿を見て、うーむ、おーっというような嘆声が湧き上がりました。

浅いとはいえ確かに腹を切った上、長い間の着座、そして焼香と体を動かした為か、充分に巻いた筈の晒を徹して白無垢の腹の辺りにうっすらと赤い滲みが浮いて見えます。紛れもなく腹を切っているしるしです。
蔭腹を切られているとは承知しているものの、このようにはっきりとその証しを目にしては、侍も及ばぬ覚悟の程に居並ぶ家中の者すべて、改めて幸子の方の見事な覚悟にただただ感服するのみです。
奥女中の中には、はや目に一杯涙をたたえ手を合わしている姿も見えます。家中の者に軽く会釈を返しながら退席する幸子の方も、嬉しさと誇らしさに無上の悦びを覚えながら元の部屋へと戻ってゆきます。

「さすがは御国御前さま」
「女の身にてようなされた」
「確かにお腹召されたあのお姿、生涯忘れまいぞ」

幸子の方の姿が消えると、一同互いに顔を見合わせ深くうなづき合うのでした。元の切腹の席に着くと、お医師の手で用意された気付けの薬湯が出されます。尾上が感嘆に声をつまらせ、

「お見事なさま。申す言葉もございませぬ」

と幸子の方の面を仰ぎ見ます。にっこりと微笑んだ幸子の方は、

「無事に法事も終えて私も嬉しう思います。さらば殿もお待ちであろうほどに、おめこ腹を急ぎましょう」

と帯を解き白無垢を脱ぎ落します。腹を巻いた晒はすっかり血潮を吸って一面赤くなっているのを腰元が解いてゆくと、再び血潮の滲む切口が露われます。

「では、おめこ腹召されますか」
「手間取っては未練心も出ようほどに―」
「されば用意いたせ」

尾上の命に応じ、再び短刀を置いた三方が出され、今度は介錯役の刀腰元が大刀を手に後ろに控え、いよいよ最期のおめこ腹の儀に入ります。
脱ぎ落とした白無垢の袖に再び腕を通し、帯は締めず前は開いたままとした幸子の方は腰のものも解き落として、短刀を取り上げると今度は先程より一寸ばかり長く刃を出して右手に取り直し、膝を八文字に開いて腰を浮かすと三方を後ろに回し、腰をその上に乗せ掛け、爪立ちの構えを取りました。盛り上がった陰毛の丘のふくらみ、その下に突き立ったおさねと女の割れ目が少しのぞき、なまめかしいおめこ腹の構えです。
刀腰元が介錯の刀の鞘を払うと片膝立ちとなり、幸子の方の左斜め後ろににじりよります。

「では―」

尾上の声に大きくうなづいた幸子の方は、左掌で両の乳房を代わる代わる揉むように撫で回します。乳房が張り乳首の周りが次第に濃く色づいて、女の情感が昂ぶり満ちてくると、股間の割れ目も少し左右に開いて紅の秘肉をのぞかせてきます。
厳粛な死の席の中に春情が漂い、おめこ腹の気が満ちてきます。下腹の奥から妖しい心の昂ぶりが湧き上がってくるのを覚えた幸子の方は、今こそと右逆手の短刀の切先を先程の切口の左端に挿し入れると、

「うむっ」

と一声、ずぶりと突き立てました。びいんと新たな痛みが体中に響き、刃が肉を貫いて腹中に達したことを伝えます。

むっク ク ムウッ

抑えた呻きをもらしながら、じりじりと再び切り回す下腹からさっと血がしぶき、既に朱に染んだ下腹へ再び鮮血が伝います。一度切られている傷口ゆえ、二度目の刃は幸子の方の意のままに腹を断ち割ってゆきます。
腹を切る心地を改めて噛み締めながら、左から右へ真一文字に刃を引回してゆく幸子の方の面には、苦痛と歓喜の入りまじった妖しい笑みがたたえられています。股間の割れ目の両側はむっくりと盛り上がり、左右に開いて秘められた紅の谷間を見せ、固く突き出したおさねが女の情の昂まりをはっきりと示しています。
幸子の方が右脇腹まで引回した刃を抜いて両手に取り直し、切先を鳩尾に当ててぐっと切り下げ始めたとき、尾上が思わずアッと小さく声を洩らしました。艶かしく咲き開いたおめこの花びらを伝って、女の悦びの泉がとろりと糸を引いて滴り落ちたからです。

「尾上、よい心地ぞ。さながら殿と契る思いがして存分に腹が切れそうじゃ」

快げに押下げる刃は縦に幸子の方の腹を割り、うーむとはっきり呻いたのは刃がすぱりと形よい臍を真っ二つに切った刹那、おめこからずんと体中を貫いて走った快楽の喘ぎです。一文字の切口と交わり十文字にぱっと割れて、幸子の方の白い腹は今は一面の紅です。
焼けつくような痛み、しびれと疼き、燃え立つおめこから湧き上がる悦びの波、初めて知る十文字切腹のたとえようもない快感に喘ぐ幸子の方の姿はむしろ悩ましくさえ見えます。切り下げる刃は下腹を存分に割って陰毛の茂みにまで切り込んで止まりました。
大きくはぜ割れて朱に染まった己が腹を見やる幸子の方の目は輝いて苦痛の色もありません。苦痛は今この上ない快感に変わって幸子の方の身も心も燃え立たせているのです。
併しおめこ腹は未だ終わっていません。最後の秘儀が残っています。それはこれまで以上の凄まじい苦痛と悦びをもたらすと思われます。十文字腹を充分に為遂げた誇りと悦びに浸りながら、幸子の方は最後の一刀の歓喜のさまを思い、一段と心を奮い立たせています。

「尾上、これよりおめこ腹の奥儀じゃ。腹十文字に心ゆくまでかき切って思い残すことは無し、この上は女ならではのおめこ腹を華々しく為遂げ殿のお側に参ろうほどに、よう見届けて下され。よき折に声をかくるゆえ、それまで介錯は待ってたもれ」
「さても御立派なお覚悟。尾上、感じ入るばかりにございます。この上はお心のままに存分にあそばされませ。尾上、拝見仕りまする」
「切腹の心地よさ、充分に味わいたれど、おめこ腹の奥儀はまた一段とよきものであろう。ふ、ふ、既にこのように刃を待ち望んでおるわ」

滴る血潮と悦びの泉に濡れたおめこを探り、こりこりと固く盛り上がったおさねを指先にふれて楽しげに喘ぐ幸子の方です。刃を返し、血に曇った切先を熱く燃える股間の花弁に添わすと、刃の冷たさが心地よく伝わります。

「されば最後の刃を…えいっ―」

喜悦に開いた紅の割れ目に刃を含ませ、そのままぐいと切り上げます。血潮が悦びの泉と混じって、さっと切腹の場の白布へ飛び散ります。

「む、むうーっ、うーむ、おお好き心地じゃ。刃はさながら殿のお一物のごとく幸を燃え狂わすぞ。と、との、ごらん下さいませ。幸は殿のお情け受けましたおめこを、こ、このように切っておりまする。い、いざ、さねを、うむっ、あ、あ、あーっ、目がくらんで、全身がとろけてきえるような心地が…いく、いく、いきまする――」

刎ね切られたおさねから勢いよく鮮血がほとばしり白布と太腿へしぶきます。うーむ、面をのけぞらし、身をふるわせて、全身がおめこと化した思いの幸子の方の喜悦は絶頂に達しています。十文字に裂けた腹、愛の泉と血潮を滴らすおめこ、これこそおめこ腹の神髄。歓喜の極地に輝くばかりの幸子の方の姿です。

「こ、この心地の失せぬ間に、い、いざ介錯を…」

ずぶりと思いきり深く刃を玉門に突き入れ、うーむと大きく呻くとがばと身を伏せた幸子の方。

「介錯、ごめん―」

刀腰元がつっと側に寄り、すんなりと伸びた幸子の方のうなじに大刀の切先を当てて、えいっ―と一声、力を込めて、ず、ず、ずっと切先から鍔元まで首筋を滑らせながら押し切ります。

「と、との…幸は…今…お側に…」

己が頚に喰い込る介錯の刃を感じながら、殿へ呼びかける幸子の方の声が途中で絶えたとき、がくっ、と首が前に折れるように垂れ、びくりと全身が痙攣するとずるずるとそのまま前へ崩れ伏しました。血脈を断つまでもなく、頚骨の断たれた一瞬に幸子の方は見事な最期を遂げたのです。
列座の者すべて暫らく声も無く、この凄烈優艶な女人自刃のさまを見つめていましたが、やがて尾上が

「お首を―」

と声をかけました。腰元が倒れ伏した幸子の方の体を抱え起こします。豊かな両の乳房の間に己の面を埋めるように、がくりと折れ下っている首を起こすと、軽く目を閉じ、契りの悦びに浸りきっているかのような美しいお顔が現われました。
刀腰元が刀を取り直し、咽喉に当ててすっと引くと、お首は胴を離れて身二つとなり、殉死追腹の儀は終りました。既に息絶えし後とて、赤くはぜた首の切口からは血がわずかに滲み出ただけで飛び散らず、白い頚骨がのぞいているだけです。
そっと仰向けに横たえると、大きく笑み割れた十文字切腹の見事さに、改めて感服の思いが湧きます。おめこを深く貫いた刃はさながら殿の男のしるしのごとく突き立って、最後の一突きに全身を燃え立たせた契りの悦びのさまが偲ばれます。

尾上が刃を固く握った幸子の方の指を丁寧に外し、短刀を股間から引き抜きます。幾たびとなく殿を慰めまいらせた幸子の方のおめこは、殿一人への操のしるしとして作法通り見事におめこ腹を遂げた姿を見せ、
血潮と愛液に濡れ輝いて女人の誇りを示しているようです。生前そのままの美しさを残す首級は三方に据えられ、血潮に染まった短刀と供に、別室に待つ検視役の元へ運ばれました。
麻裃に威儀を正して控える検視役の前に首級と短刀が置かれると尾上が

「御覧の如く、御国御前幸子の方さまには只今、作法通り殉死追腹の儀、とどこおりなく見事に終えられてございます。御検分くだされませ」

と告げます。

「確かに検分仕ってござる」

検視役は感に堪えぬように応え、深く一礼して退出してゆきました。今頃、幸子の方は殿のお側でおめこ腹の嬉しさ心地よさを語りながら、心ゆくまで契りを交し合っておられることでございましょう。
                             (終り)
  1. 2020/07/19(日) 15:00:00|
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石原軍団解散

石原軍団解散
石原軍団解散…舘ひろし&神田正輝が独立へ 渡哲也が決断、石原プロ来年にも俳優マネジメント終了
© 産経新聞社 石原軍団解散…舘ひろし&神田正輝が独立へ 渡哲也が決断、石原プロ来年にも俳優マネジメント終了

国民的スター、石原裕次郎さん(享年52)が設立した石原プロモーション所属の俳優、舘ひろし(70)と神田正輝(69)が来年にも独立する意向であることが15日、分かった。同社が俳優マネジメントを終了するためで、若手は移籍へ。渡哲也(78)はフリーで芸能活動を続けるとみられる。石原プロは今後、裕次郎さんの遺品管理を中心に業務を行い、17日の故人の三十四回忌に妻で同社会長の石原まき子さん(86)から事業縮小などを伝える手紙が関係各所に届けられる。
石原軍団解散…舘ひろし&神田正輝が独立へ 渡哲也が決断、石原プロ来年にも俳優マネジメント終了
© 産経新聞社 石原軍団解散…舘ひろし&神田正輝が独立へ 渡哲也が決断、石原プロ来年にも俳優マネジメント終了

1963年の石原プロ設立から57年-。昭和に誕生した名優ぞろいの石原軍団が令和で“幕引き”となる。

裕次郎さんは昨年7月17日に三十三回忌を迎え、まき子夫人は舘ら石原軍団と墓参した際、弔い上げを宣言していた。

生前、裕次郎さんに「俺が死んだら会社を畳んでくれ」と遺言されていた渡は、2015年に急性心筋梗塞の手術を受けるなど自身の体調を考慮して同プロの“引き際”を考えてきたが、三十四回忌の今年、新たなけじめを模索。まき子さんと相談し、石原プロの事業縮小とともに俳優マネジメントから撤退することを決断した。裕次郎さんの命日の17日、まき子さんから関係各所に石原プロの今後や渡の思いについてつづられた手紙が届くという。
石原軍団解散…舘ひろし&神田正輝が独立へ 渡哲也が決断、石原プロ来年にも俳優マネジメント終了
© 産経新聞社 石原軍団解散…舘ひろし&神田正輝が独立へ 渡哲也が決断、石原プロ来年にも俳優マネジメント終了

俳優マネジメントの終了に伴い、舘と神田は来年にも独立する意向を固めた。自身がしっかりしているうちに、軍団や会社の今後を見届けたい渡の気持ちをくんだ形だ。徳重聡(41)、金児憲史(41)の中堅や若手も移籍することになる。

現在、自宅で療養しながら宝酒造のCMに出演するなどマイペースに仕事をこなす渡は、いずれ同社の相談役から退き、フリーで活動するとみられる。

ある関係者は「今年は軍団の解散はない。まき子さんや渡さんは社員や俳優の行く先を決めてから、と考えているから、このタイミングで発表するのでは」と証言。舘と神田の独立について本紙の取材に応じた浅野謙治郎社長は「聞いていないが、それぞれ独り立ちできる人たち」と否定しなかった。

石原プロは、17年8月に北海道・小樽の石原裕次郎記念館を閉館。今月3日に映画やテレビ、音楽などに関する著作権などを扱っていた石原インターナショナルの清算結了登記の手続きを終了し、昨年までに石原ミュージックや映画製作を手掛けたI.P.Fの清算を済ませ、音楽関係の出版販売などを行う石原音楽出版社も今月3日に遺品の維持管理などを扱う業務に変更。事業を縮小し、一本化を進めている。

浅野社長は「現在も映像や映画など貸し出しているため会社の解散はできない。体系や名前を変えて会社を継続します」と一部で報じられた来年1月の解散を否定。一方、「将来的には、石原プロの看板を裕次郎さんの仏前に返さないといけない」と話した。

1963年1月に誕生した石原プロは、常に注目の的だった。裕次郎さん主演の映画「黒部の太陽」や「太陽にほえろ!」「西部警察」の人気ドラマシリーズなど一世を風靡。ボス亡き後も2000年に平成の裕次郎を発掘するオーディションを開催し、国民に愛されてきた。

名優集団としての石原軍団は解散するが、裕次郎さんから渡に受け継がれた“鉄の結束”という男の絆は永遠だ。

  1. 2020/07/17(金) 10:01:00|
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