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唐田えりか

唐田えりか、前途多難な女優復帰を後押しする「所属事務所の看板女優」
◎唐田えりか
東出昌大(32)と3年に及ぶ不倫関係が報じられ、女優活動を休止中の唐田えりか(23)が再始動に向けて準備中だという。

唐田の復帰をサポートしているのは……
 『女性セブン』(10月22日号)によると、現在は所属事務所で朝から事務仕事をこなして定刻に退社するという日々を送っているという。同誌の写真では長かった髪はショートになり、すれ違ってもすぐに唐田とはわからないぐらいのイメチェンをしているものの、スタイルのよさは以前と変わりない。

「不倫騒動直後、一部では彼女の消息も不明と伝えられていましたが、ずっと事務所がバックアップしていたといいます」(スポーツ新聞記者)

 一方、東出は不倫騒動直後こそ謹慎していたが、7月に出演映画『コンフィデンスマンJP プリンセス編』の公開に合わせてメディアに登場し、8月には杏(34)との離婚を発表。最近は舞台などで復帰を果たしている。

「東出も唐田も不倫による代償は相当なものだったと思います。でも、杏さんと子どもたちを苦しめた事実は消えることはありません。そんなに簡単に、以前のように芸能界で活動できるほど世間は甘くないでしょう。

 それでも唐田本人は仕事を続けたい気持ちが強く、マイナスからでも再スタートしたいと考えているそうです」

 そう話すのは芸能関係者だ。

「具体的な復帰の話や予定はまだ先のことですが、今は目の前のことをひとつひとつこなしていく日々だそうです。もっとも、唐田をそんな前向きな気持ちにさせたのは同じ事務所の先輩でもある広末涼子みたいですよ」

 広末といえば、かつては清純派アイドルでしたが、10代後半から複数の男性との恋愛遍歴を重ね、早稲田大学に進学するもほとんど出席することなく退学。その後、結婚と離婚を経験し、現在の夫(キャンドル・ジュン)と再婚。現在は、仕事と子育てを両立し、女優としても高い評価を得ている。

「かつて広末も、さまざまなスキャンダルに見舞われバッシングされた経験がありますから唐田の気持ちがわかるのかもしれません。

 唐田はデビューまもない頃、広末をはじめ、同じ事務所の先輩女優である戸田恵梨香や吉瀬美智子の撮影現場に同行し、見学していたほど。先輩たちからは可愛がわれていましたよ。そんな関係性もあって、唐田が女優を続けたいならと陰でサポートしているようです」(同前・芸能関係者)

 一部では唐田の復帰作についてネットドラマも検討されているとも伝えられているが、「復帰するためには、まず不倫騒動に対してのコメントなり気持ちを何らかの形で一度、発表した方がいいでしょう」というのはテレビ局関係者。

「不倫によって、ドラマやCM、映画などを降板していますから、まずはそのお詫びが必要です。いずれテレビ復帰するにしても、再び炎上する可能性がないとはいえませんからね」

 まだ前途は多難だが、復帰への道のりは先輩たちの背中を追いながら一歩ずつ進んでいくしかない。
  1. 2020/10/18(日) 09:36:12|
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石原軍団は伝説もスター級

石原軍団は伝説もスター級、車4600台破壊、高速道路封鎖、お年玉に500万円!

 
 
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© 週刊女性PRIME 1986年、石原軍団ハワイ旅

《株式会社石原プロモーションの商号を故石原裕次郎氏仏前に返還することに全員一致で決定致しました》

 “昭和の大スター”石原裕次郎さんが設立し、渡哲也、舘ひろし、神田正輝、徳重聡ら大物俳優――。“石原軍団”が所属する石原プロモーションは、'21年1月16日をもって解散すると発表した。

「昭和、平成を代表する“古きよき”芸能プロダクションですから、時代の流れとはいえ、こういう事務所がなくなってしまうのは寂しいですね……」(スポーツ紙記者)

 

 所属する全俳優のマネージメント業務を終了し、今後は音楽や映像などの版権管理だけに業務をシフトしていくという。

「石原軍団の面々は、全員ほかの事務所へ移籍するか、独立することになります。ただ、現時点では、ほとんどの役者さんが、どうするのか決めていない状況だそうです」(前出・スポーツ紙記者)

お年玉は近所の人にも

仰天エピソードの数々

 石原軍団といえば、思い出されるのが、なんといっても“男気”にあふれた数々の伝説――豪快エピソードだろう。

「最近だと、例えばEXILEの事務所も上下関係がキチッとしてると言われていますけど、往時の石原軍団は比べ物にならないほど厳しさも絆も強かったですからね」(テレビ局関係者)

 “鉄の結束”と呼ばれ、語り草にもなっている。

「先輩の言うことは絶対。今でこそ笑い話ですが“鉄拳制裁”も普通にあったそう。裕次郎さんの甥、石原良純さんが石原プロに在籍していたときのことですが、寝坊か何かで集合時間に遅刻してきたことがあったんです。それを見とがめた先輩の舘ひろしさんが良純さんをすぐに呼び出して“教育”した……なんて話もありますからね」(前出・テレビ局関係者)

 

 石原軍団のひとりだった峰竜太が、'82年に不倫現場を報じられ大騒動になったときのエピソードも、ある意味スゴイ。

「峰さんは、奥さんの海老名みどりさん伴って謝罪会見を開いたんですが、後日、峰さんが裕次郎さんや先輩たちにも“お騒がせしてすみません”と謝った。峰さんはてっきり怒られると思っていたんですが、ニヤリと笑って“これでおまえもようやくオレたちの仲間に入れたな”と。峰さんはこの言葉にすごく救われたそうですから。不倫はたしかにマズいですけど、仲間の過ちも受け入れて、笑い飛ばしてくれる懐の深さがあったんです」(前出・テレビ局関係者)

 

 芸能関係者やマスコミ関係者が集まる新年会も、豪快そのもの。中でも、いまだに記者たちの間で語り継がれているのが“お年玉”だ。

帯のついた札束を5つ……つまり500万円を事務所の幹部が手に持って、参加者ひとりひとりに“お年玉”と言って1万円札を配ってくれるんです。新年会に呼ばれたお客さんだけでなく、私たち新聞記者やカメラマン、さらには様子をのぞきに来た近所の人にまで、その場にいる人たち全員に残さず配るのが恒例でした。中には2回もお年玉の列に並ぶ……なんてヤツもいましたね(苦笑)」(前出・スポーツ紙記者)

 

 石原プロの浅野謙治郎専務取締役も、往時の新年会を懐かしむ。

今の場所に事務所を移転する前は毎年、餅つきもしていたんですよ。臼を5、6基出して、渡さんたちが餅をついて、ご近所の人にも振る舞ったんです

 これは“ファンや支えてくれる人たちも含め、みんな仲間、家族なんだ”という裕次郎さんの考えから。

 ゆえに、ドラマの撮影でも、スタッフはもちろん撮影に参加する多くのエキストラひとりひとりにも、渡や舘ら石原軍団の面々と同じ“1個2000円”の高級弁当を必ず配ったという。“同じ釜の飯を食べる”精神だ

「まぁ、値段の話はいいとして(苦笑)、裕次郎さんのそういう思いを、みんなでずっと守ってきたということなんです」(浅野専務)

 その石原軍団の代表作といえば、『西部警察』と誰もが口を揃えるだろう。'79年から'84年までテレビ朝日系で放送された伝説の刑事ドラマだ。

 渡扮する大門刑事が石原軍団ならぬ“大門軍団”と呼ばれる刑事たちを率いて、悪に立ち向かうのだが、劇中で繰り広げられる銃撃戦やカーチェイスがそれまでの……いや、今日までのあらゆる刑事ドラマのレベルをはるかに超えた、とんでもないスケールで行われ、放送当時、絶大な人気を博した。

放送されていた5年間に車4600台、建物を320棟も壊したという“記録”が残っています。撮影の爆破シーンで使ったガソリンの量は2万5000リットル、火薬の総量は5トン! 飛ばしたヘリは600機。派手なアクションモノのハリウッド映画でも、1本あたりに使う火薬量なんてせいぜい数十キロ~100キロ程度ですからね」(ドラマ制作会社関係者)

 

 ちなみに、1トンの爆弾が爆発すると“爆心地から80メートル以内の建物はすべて倒半壊”“500メートル離れていても鼓膜が破れる”ほどの衝撃だというから、それが5発分とは凄まじい……!

「カースタントも派手でしたねぇ。芝浦運河をジャンプで飛び越えさせたり、銀座で本物の装甲車を走らせたり……(苦笑)。でも地方ロケのときのほうがもっと凄まじかったんですよね。広島では路面電車を大爆発させた、なんてこともあったんです。でも、どこからも苦情がないどころか、どの企業もロケ地の役所も喜んで協力してくれたそうですよ。それだけ日本中から愛されていたんですよ」(前出・ドラマ制作会社関係者)

 

 さらに、今の時代では考えられないことも。

「愛知での撮影では、撮影のために高速道路を封鎖したこともあるんです。渡さんの乗ったフェアレディZがカーチェイスするシーンを高速道路で撮りたいということになって。愛知県警が“そういうことなら止めましょう”と協力してくれました。当時だから許されたんでしょうね(笑)」(前出・浅野専務)

『西部警察』そして石原軍団が行く先々で、見物人は膨れ上がった。

“大阪でのロケの御礼に”と、挨拶代わりに無料コンサートをやったんです。そうしたら会場だった大阪城公園に15万人もファンの方々が押し寄せちゃって……(苦笑)。大阪府警から“これ以上は危険ですから”と言われて入場規制することになって、いやぁ大変でしたね」(前出・浅野専務)

車が見物客に……

土下座で謝罪した渡

 だが、まさにそのド派手アクションと、多くの人々を集めてしまう人気ぶりがアダとなった出来事が起きる。

 '03年、19年ぶりの新作連続ドラマとして放送されるはずだった『西部警察2003』でのことだ。

 この『西部警察2003』は、“21世紀の石原裕次郎”こと徳重聡を主演に据え、1話あたりの制作費1億円、予算総額10億円超という触れ込みで大々的に制作発表された。

 ちなみに、通常の連ドラ制作予算は1話あたり2000~3000万円ほど、NHKの朝ドラですら年間予算が15億円ほどだと言われているから、この10億円はとんでもない数字。当時の石原プロの並々ならない力の入れようもうかがえる。

「この撮影で使うためだけに9000万円もする本物の消防車をわざわざ購入しちゃったくらい。準備万端だったんですが……」(ドラマ制作会社関係者)

 クランクイン翌日の'03年8月、名古屋市街地でロケ撮影中、出演者の運転する車が、ロケの見物人に突っ込むという事故が起きてしまったのだ。

「不幸中の幸いで亡くなった方はいませんでしたが、5人が重軽傷を負って入院。当時、石原プロの代表でもあった渡さんは、すぐに制作の中止を決断。テレビ局にも放送の中止を申し入れたんです。“何とか放送だけはしてほしい”というファンや関係者、さらには怪我をさせてしまった被害者からも“続けてほしい”と声が上がったんですが、渡さんが“そんな無責任なことはできない、筋が通らない”と」(前出・スポーツ紙記者)

 

 同時に、渡は怪我を負った被害者のもとへ謝罪にも訪れた。

ひとりひとりのベッドの横で土下座をして謝ったんです。たしかに責任ある立場とはいえ、あれだけの大物俳優ですよ? なかなかできることじゃないですよ」(前出・スポーツ紙記者)

 

 この渡の誠意ある決断と謝罪は、「さすが渡哲也」「さすがは石原軍団」と世間から高く評価された。

「この一件で逆に株を上げましたからね。そのおかげもあって、事故から1年後には、すでに収録済みだったシーンを再編集して、『西部警察』のスペシャルドラマとして放送することができた。完全お蔵入りが避けられたわけですよ。不祥事や不倫で大炎上している今のタレントも、渡さんの爪の垢でも煎じて飲んだほうがいいですよ(笑)」(前出・スポーツ紙記者)

 その渡は、新たにマネジメント会社の立ち上げを模索しているとも言われている。

まだ何も決まっていませんが、所属する全員がしっかり次に進めるように、きちんと面倒を見ます。それが私たちの最後の仕事ですから」(前出・浅野専務)

 石原プロは解散してしまう。だが、その火は消えない。石原軍団の男気――魂は令和の時代にも受け継がれていくだろう。

  1. 2020/08/01(土) 06:08:36|
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石原軍団解散

石原軍団解散
石原軍団解散…舘ひろし&神田正輝が独立へ 渡哲也が決断、石原プロ来年にも俳優マネジメント終了
© 産経新聞社 石原軍団解散…舘ひろし&神田正輝が独立へ 渡哲也が決断、石原プロ来年にも俳優マネジメント終了

国民的スター、石原裕次郎さん(享年52)が設立した石原プロモーション所属の俳優、舘ひろし(70)と神田正輝(69)が来年にも独立する意向であることが15日、分かった。同社が俳優マネジメントを終了するためで、若手は移籍へ。渡哲也(78)はフリーで芸能活動を続けるとみられる。石原プロは今後、裕次郎さんの遺品管理を中心に業務を行い、17日の故人の三十四回忌に妻で同社会長の石原まき子さん(86)から事業縮小などを伝える手紙が関係各所に届けられる。
石原軍団解散…舘ひろし&神田正輝が独立へ 渡哲也が決断、石原プロ来年にも俳優マネジメント終了
© 産経新聞社 石原軍団解散…舘ひろし&神田正輝が独立へ 渡哲也が決断、石原プロ来年にも俳優マネジメント終了

1963年の石原プロ設立から57年-。昭和に誕生した名優ぞろいの石原軍団が令和で“幕引き”となる。

裕次郎さんは昨年7月17日に三十三回忌を迎え、まき子夫人は舘ら石原軍団と墓参した際、弔い上げを宣言していた。

生前、裕次郎さんに「俺が死んだら会社を畳んでくれ」と遺言されていた渡は、2015年に急性心筋梗塞の手術を受けるなど自身の体調を考慮して同プロの“引き際”を考えてきたが、三十四回忌の今年、新たなけじめを模索。まき子さんと相談し、石原プロの事業縮小とともに俳優マネジメントから撤退することを決断した。裕次郎さんの命日の17日、まき子さんから関係各所に石原プロの今後や渡の思いについてつづられた手紙が届くという。
石原軍団解散…舘ひろし&神田正輝が独立へ 渡哲也が決断、石原プロ来年にも俳優マネジメント終了
© 産経新聞社 石原軍団解散…舘ひろし&神田正輝が独立へ 渡哲也が決断、石原プロ来年にも俳優マネジメント終了

俳優マネジメントの終了に伴い、舘と神田は来年にも独立する意向を固めた。自身がしっかりしているうちに、軍団や会社の今後を見届けたい渡の気持ちをくんだ形だ。徳重聡(41)、金児憲史(41)の中堅や若手も移籍することになる。

現在、自宅で療養しながら宝酒造のCMに出演するなどマイペースに仕事をこなす渡は、いずれ同社の相談役から退き、フリーで活動するとみられる。

ある関係者は「今年は軍団の解散はない。まき子さんや渡さんは社員や俳優の行く先を決めてから、と考えているから、このタイミングで発表するのでは」と証言。舘と神田の独立について本紙の取材に応じた浅野謙治郎社長は「聞いていないが、それぞれ独り立ちできる人たち」と否定しなかった。

石原プロは、17年8月に北海道・小樽の石原裕次郎記念館を閉館。今月3日に映画やテレビ、音楽などに関する著作権などを扱っていた石原インターナショナルの清算結了登記の手続きを終了し、昨年までに石原ミュージックや映画製作を手掛けたI.P.Fの清算を済ませ、音楽関係の出版販売などを行う石原音楽出版社も今月3日に遺品の維持管理などを扱う業務に変更。事業を縮小し、一本化を進めている。

浅野社長は「現在も映像や映画など貸し出しているため会社の解散はできない。体系や名前を変えて会社を継続します」と一部で報じられた来年1月の解散を否定。一方、「将来的には、石原プロの看板を裕次郎さんの仏前に返さないといけない」と話した。

1963年1月に誕生した石原プロは、常に注目の的だった。裕次郎さん主演の映画「黒部の太陽」や「太陽にほえろ!」「西部警察」の人気ドラマシリーズなど一世を風靡。ボス亡き後も2000年に平成の裕次郎を発掘するオーディションを開催し、国民に愛されてきた。

名優集団としての石原軍団は解散するが、裕次郎さんから渡に受け継がれた“鉄の結束”という男の絆は永遠だ。

  1. 2020/07/17(金) 10:01:00|
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